選挙のたびに思う理想の姿

日本は、政治の話がタブーすぎると思います。

相手の立場や思いを否定しない、これは美徳です。
日本人が苦手とするのは、その「思いやり」と「相手の主張を聞く、意見を交換する、という行為」が共存できない、という不器用さにあります。なので、美徳の部分が拡大解釈されて、「政治の話はしない」になります。
でもこれでは、本当に良い政治、すなわちより良い暮らしについての議論がいつまで経っても煮詰まりません。

会議でもそうです。会議ではともすれば掴み合いになりかねないくらいの白熱した議論を交わし、しかし、時間が来たらノーサイド、飯でも食いに行こうか、が日本人は総じて苦手です。
昔、幸運なことにそれが完ぺきにできる上司がいて、中にはそういう人もいます(彼はアメリカ資本のコンサル出身でした)。

その意見が好きとか嫌いとか、合うとか合わないとかは少しだけ横においておいて、立場の違う人の意見はすごい勉強になります。
政治の話の場合、話す側がそこで、「だから、この候補者に投票しなさい」という説得や押しつけが混ざってくるとややこしいのです。日本人はそこの切り分けがうまくない。「プレゼンテーションが下手くそ」と言いかえることも出来ます。

一方、聞く側の混同はこんなところにあります。

人の悩みを聞いてあげるときに、こんなことを意識すると整理しやすいと言われています。
・質問するときは質問だけ
・提案するときは提案だけ
これがやってみるとなかなかできない。

特に男性は生物学的に「解決したい欲求」が働きますから、悩み相談されて、わからないことがあって質問しているうちに、質問が提案や説得にすり替わっていくことがあります。
もう少しわかりやすく言うと、「自分と意見が違うなー」とか、「若いなー、甘いなー」と思った瞬間に、つい「こうしたらいいんじゃないの?」に変わってしまうのです。
でもいちばん大事なのは、相手にたくさん話しをしてもらって、相談者自ら答えを掴み取ろうとすることです。

政治の話に戻ると、大前提として正解がない話をしているわけですから、相手の意見をよりたくさん聞いて、理解することがいちばん大事です。極論聴くだけ。聴くだけで、相手のことがよくわかり自分の意見も俯瞰できますし、共感できるところと、そうでないところが明確になります。それで十分と言えます。
「質問に、提案や説得が混ざらないようにする」これが政治の話をする時の聞き手の理想的な姿勢だと思います。

まとめると
× 「この人に投票しなさい」
× 説得(相手が自分の考えをまとめる中で意見を修正するのはOK)
○ 「この問題についてはこう考える」
○ 「ここについてもっと知りたいから教えて」

この話法を守れば、政治の話は大いに盛り上がるはずなのです。だって本来、井戸端でやるのと同じ、暮らしの話ですから。
ただし初対面では避けたほうがいいってのは、おおむね賛成ですが笑

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投票に行かない人たちがいます。

行かない理由を尋ねると決まってこう言われます。「だって何も変わらないでしょ。投票したい人がいないし」

前者について。
いやいやいや。といいますよ。だって最近見たじゃないですか、某国の大統領選挙で。
選ぶ人によってめちゃめちゃ変わるんですよ、選挙って。

ただ、激しく突っ込みたいのは後者です。
選挙において「投票したい人がいる人」ってのは相当レアでハッピーな人です。まず見かけません。
私の予想では、もしみんながぶっちゃければ、みんな投票したい人がいません(もちろん家族や親友が候補ってなら別かもしれませんが)。

その前提に立ったときに、じゃあ誰に投票するかですよ。
答えはこうです。
「少しでもましな人に投票する」

ある人がこう言いました。
「『この人は当選してほしくない人』に、投票するほうがやりやすい」
いわゆるバツを付ける方式。たしかにそうなんです。たぶん、そのほうが投票率が上がるでしょう笑

ただやっぱりそれは、違う意味で組織票が働きやすくなるのでうまくありません。
なので、当選してほしくない人を落選させるために「ましな人に投票する」んです。これが現状、最適な投票方法です。

たまに、投票しないことでそれを表明したかのように言う人がいますが、投票しないと母数に入らないので全然意味が異なります。「私は何も主張することはありません。すべてOK」という意味になります。
もう一つ、白票を投じる、というのがあります。この行為をして「政治不信を表明することだ」と主張する人がいます。これはいろいろ意見が分かれるところですが、現在の仕組みの観点からいくと、「無効票」扱いですので、これも何も主張できてません。ふざけて「ビートたけし」と書いて投票するのと同じ扱いです。

なので、政治不信がある人は、投票に行かないなんてケチくさいことを言わないで、ぜひ「ましな人」探しをしましょう。穿った目で楽しめるので案外面白いと思います。

権利義務概念の勘違い

「権利を主張するには義務を果たせ」という人をたまに見かけます。
すみません、これ完全に間違いです。
正確な権利義務は、「権利を持つ人がいる事柄については、必ず義務を負う人がいる」ということです。借金と考えればわかりやすいですかね。借金を取り立てる人(権利)と、お金を返さなきゃいけない人(義務)が必ずいます。
一番最初に書いたセリフに当てはめると、貸した金を返してもらうためには、何か他の義務を果たさなきゃいけなくなってしまいます。これでは変な話ですね。

よく勘違いされるのが、税金を払っている(納税の義務)から、行政サービスを受けられる、というやつです。
ちがいます。国民の納税義務に対して税金を徴収する権利を国が有しています。
国民が行政サービスを受ける権利に対して、国は行政サービスを提供する義務があります。
2つは全く別物で、それぞれに権利義務が一対であります。
だって、低所得で税金を収めていない人が住民票がなくなるわけではないし、高額納税者が市役所でVIP対応なわけでもない。
すなわち、権利義務とは、そこにはプレイヤーが常に2人いるという意味です。

で、選挙権です。お、権利だ。すなわち、投票させる義務のあるプレイヤーがどこかにいるんですよ。
どこかって、まあ国ですよね。

投票に行かないという行為をさきほど「ケチくさい」と表現しましたしたが、投票に行かないという行為はつまり、国が義務を果たそうとするのを邪魔する行為と言いかえることもできます。
国って言うとわかりにくいですが、国民一人ひとりですよね。極論、投票に行かないのは全員の足をちょっとずつ引っ張る行為なんですね。まあただ、代表してその義務を果たそうとしてるのは、お役人さんってことになりますが、投票所に朝7時から夜8時までたくさんの人を配置するくらいなら、投票所が少し手薄になってもいいから浮いた人件費(公務員の給料だからようは税金だ)で、「投票に行った人はビール(ジュース)無料」とかに税金を使ったほうがよっぽどいいと思うのです。
つまり選挙は公式なお祭りにするのがいいと思うのです。みんなスポーツバーで盛り上がるとか。政とかいて「まつりごと」と読みますし。
権利義務概念を正しく理解していれば、選挙権に対する税金の使い方としてwin winであるのは明白でしょ?

選挙があるたびにいつも思います。
せっかくブログを始めたので初めて文章にしてみました。

それでは、良い選挙戦をお楽しみください。

photo by Kevin Smith

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