サードプレイス(第三の場所)であろうとすること

Wam那須塩原校、ステモン那須塩原校とも、子供たちのサードプレイスであろうと考えています。
サードプレイスとは、直訳すると第三の場所。子供にとって第三の場所とは、家でも学校でもないけど、居心地のいい場所のことです。

特に、こんな子の夢や希望をサポートしたい。

  • 好きな教科が決まっていて苦手な教科はあまりやりたくない子
  • そもそも勉強はあまり好きじゃないけど、ある部活や学校の設備、そこにいる人等にあこがれていて特定の学校を受験したい子
  • 人が多いと集中力が続かないけど、マンツーマンならやれる子

好きな教科が決まっていて苦手な教科はあまりやりたくない子

日本の社会の傾向として、なんでもまんべんなく及第点が良いとされます(以下、総合的な能力を持つ人=ゼネラリストとします)。
そしてたぶんそれは日本人の気質には合ってるんでしょう。日本の大企業でしばしば使われる大まかな職種の分け方をご存じでしょうか?「総合職」と「一般職」です。大企業にいたことがない人にはさっぱりその違いが判りませんよね。
すごい大雑把に言うと、「総合職」=様々な部署への異動があり、努力すれば出世ルートに乗ることができる人。「一般職」=特定の(多くは繰り返しの)業務のみに従事し、異動も出世もほとんどない人。です。
この言葉の使い方からも日本人の「総合」好きがわかりますね。
ただし、それはあくまで全体の傾向であって、日本人のマジョリティ(多くの人)にとってです。

でも、芸能人、スポーツ選手、ミュージシャン、作家、映画監督、職人、プロフェッショナルと呼ばれる人たちの集団をつくったとすると、おそらくですがゼネラリストは少なく、スペシャリスト(特定の分野に極端に秀でた人)が多いはずです。
スペシャリストにとって、現状の日本の学校は居心地があまりよくない場合があります。方針としてゼネラリストを志向していますので。
でもそういう子にとっても当教室は「居てもいい場所」でありたいです。なにせ学校じゃないですから、ポジティブな意味で「君は算数やらなくてもいいよ」「英語だけ一番になろう」とか言えるわけです。学校と塾の役割の違いです。それを強く意識してますので「塾で苦手克服」とかまったくもって言うつもりはないです。
ただもちろん、自ら進んで「苦手を克服したい」場合もウェルカムです。どちらかというと私自身は「ザ・ゼネラリスト」なので気持ちはよくわかります。
ただ、スペシャリストにとってはボトムを上げるよりトップをさらに伸ばすほうが絶対楽しいと思うのです。

そもそも勉強はあまり好きじゃないけど、ある部活や学校の設備 、そこにいる人等にあこがれていて特定の学校を受験したい子

「学校の授業」と、「学習」「知識」「技術」は違います。またしても私の経験で言うと、昔から運動は好きですが体育は嫌いでした。学校の体育では、ただ体を動かせ―という感じ(昭和から平成初期の話です。団塊ジュニア世代ですので生徒数も半端なく多かったです)で、ちゃんとロジックで運動を教えてくれなかったからです。まして私は左利きですので、ソフトボールやサッカー(足も左足が得意)、剣道や柔道に至るまで最初から先生が匙を投げてました。ものすごい疎外感です。居心地最悪です。一方、大人になってからスキー場のスノボ教室に入ったとき、事前に左利き(スノボ用語のグーフィースタンス)であることを伝えていたこともあり、講師の方にきちんとわかってもらえて「マジこれ、これを求めていた」と思いました。
体育に限らずありとあらゆる教科でそれは起こりえますし、もっというと教育は人間が行うサービスですので、仮にその先生がいかに素晴らしい方でも、30人も子供がいれば気が合わない生徒は確実にいます。
では、「学校=勉強しに行くところ」かというと、それはほんの一部であって、学校の授業が嫌いだから学校行くの嫌になっちゃうってすごくもったいないと思うのです。極論、給食だけが楽しみでもいいし、友達とのおしゃべりが楽しみでもいい。
そんな中、居心地の悪い授業をやり過ごし、まあでも希望の中学校や高校に行くために勉強も押さえておかないといけないから塾で補完する。
もちろん塾は塾で人間関係があるけど、人数が限定された場所で、目的を共有した講師や同年代の子たちの中で成長する。何の問題もありません。
モチベーションの源泉となる特定の学校(場所)を目指し成長、さらに専門性を追求して社会に出ていけばさらに狭まっていくわけですから、そのスタートが中学生、あるいは小学校のときで、きっかけが塾だっていいわけです(もちろん、無意識に視野が狭くなることと表裏一体ですが、それがイコール社会性の欠如ではありません。「似た者同士で過ごす場所にいるから普段は感覚が近い人の輪の中にいる。しかし世の中は広い」と自覚してさえいればいいと私は考えます)。

人が多いと集中力が続かないけど、マンツーマンならやれる子

何かを好きになる、夢中になるのって、その前提としてすごく自分が愛されたり認められたりした経験が必要だと思うのです。ただし、全く根拠はありませんので、集中力が足りない子が、愛情が足りない環境にあるとはもちろん言いませんが、誰もがうらやむ素敵な家庭であっても、一人の子供に対して大人がピタッと寄り添って「独り占め」する時間というのは意外と限られていると思います。
わかりやすい例で言うと兄弟。特に下の子は生まれながらにして親の愛情を分かつ年上のライバルがいます。理屈っぽいですが理屈ではありません。感情の問題です。まして親だって人間ですしね、すべての時間を子供に捧げているわけではありません。
で、当教室ではマンツーマンも選択可能です。それは、上記の理由からです。塾にいるときに繰り返し「大人を独り占め」を経験できることで情緒が訓練され、やがて「一人でも夢中になれる力」がつくと考えています。だから極論、勉強を教えなくてもいいんですが、まあ手っ取り早く成功体験を積みやすいので勉強は教えます笑
ちなみに、世の中の「個別指導塾」は基本的に生徒2に対して講師1か、生徒3から4に対して 講師 1です。「一人一人に合わせた個別の課題をやる」けれども「マンツーマン」とは言ってません。で、当教室も基本は2:1です。その中でプランを相談させていただきマンツーマンも選択可能としています。その場合、重要なのは時間の長さではないので通常90分に対し40分マンツーマンという選択肢もおすすめしています。

手段としては、勉強を教えますし、もちろん基本的には勉強ができるようになってほしいというのが根底にありますが、なにか一つ、自分で自分をほめてあげられるところを見つけて、社会に出してあげたいと考えています。

そして子供たちがだいぶ大人になってからでいいので、「あ、あそこ居心地よかったな。何を習ったか忘れたけど」と思い出してくれる場所を目指しています。

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